2008年4月15日火曜日

グダグダになりつつある日本語組版を立て直す?

W3Cに草案として、日本語組版処理の要件(日本語版)が公開(2008年4月11日)されている。
組版システム=書記システムとしていると思われるが、今になって、なぜこのような規格が必要になるのか?というところが書かれていないので、僕の見解でお話する。(多分、かなり泥臭い話なので書かれていない、というかW3Cの文書には書けるはずがない)

確かに、文化としての書記システムは存在する。しかし、昨今の出版業界を取り巻く環境の中では、重要性が薄れてきているのも確かだ。
その理由には、主に二つではないかと思う。
1.情報ソースが紙からWEBに移行していることから、組版へのこだわりが無くなってきた。
2.海外製DTPアプリケーションの台頭によって、専門的に日本語組版行うということを基本としてきた書記システムの販売シェアが低下している。

日本が持つ書記システムは、下記を重要視してきた。
1.美しい日本語組版
2.生産性

これに対して、海外製品がシェアを伸ばしてきた要因は、
「低価格」につきる。

一昔前までは、その機能の乏しさに一蹴されてきた海外製品も、年を増すごとに機能を強化、また、日本語組版への対応も強化され、仕上がりを比べたときには、違いが分からないレベルにまで到達していると思う。

ここでは、フォントの変化も要因として大きい。「写植」という言葉も消えて久しいが、販売元である写研の勢いが無くなった今、モリサワなどの比較的低価格で購入できるフォントに置き換えられ、長く写研製の文字が使われていた機械も必要が無くなった。

「美しい日本語組版」を構成する「書体=フォント」が、欠落した中、残るのは、横組み、縦組みなど、他の国にはない組版規則のみとなった。

しかし、この組版規則さえも、海外製品の台頭によって不安定な状態になり、出版に関わる人の中で、この事を気にかけている人がどれくらいいるかを考えると、組版を職人としていた人たちにすれば、寂しい限りだと思う。

このことは、ビジネスとしての出版、印刷にとっても大きな影を落としている。
それは、もうひとつの重要なファクターだった「生産性」ということがまったく無視されているからである。
これによって引き起こされる問題は、作業時間の肥大化、ミスの増加、データ統合化の障害など、様々な方面に影響を与えている。
効率よくできていない組版データは、あえて言うが「ゴミ」にしかならない。

そのような中で、組版規則をもう一度見直して、スタンダードはこうなんだよ、ということを世界標準という大きな傘の中で、もう一度唱える必要があったのだと思う。
そうすることが、文化としての書記システムを失わず、このグダグダな世界を変えていき、他との連携もできるようになる、ということに繋がる。(繋がって欲しい)

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