2008年11月2日日曜日

「組版」と「DTP」の違いについて考えてみる

最近研修生も来ていることだし、社内で飛び交う「組版」という言葉と、やっぱり「DTP」という言葉が、「組版」とイコールかと言われると、ちょっと違う気がするので、その違いについて考えてみようと思います。

「組版」という言葉の説明については、ウィキペディア先生に 任せるとしますが、この記事を書かれた方は、TeXユーザなのかな。DTP化によって、組版の基礎知識のない人間でもできてしまうことが、全体的な質の低 下に繋がっているというようなコメントが書いてありました。それもそうだと思うのですが、基礎知識ってなんだ、と考えてみると、基礎学習のためのマニュア ルのようなものを想像してしまうのですが、それを覚えればいいのか、というとそうでもない気がします。

僕たちの制作の仕事は、どちらかというと、いわゆるページ物が多いです。
チラシっぽいのも昔はやっていたのですが、どんなものでも仕上がりや、技術的なところに拘りを感じていたので、難しい、手間のかかるものは、うちに頼む、みたいな感じで依頼されることが多くなりました。その結果が今いただいている仕事です。
なんでかなあと考えてみると、もともと情報処理の発想から入っている点が挙げられると思います。

先生の言うとおり、「文字や図版などの要素を配置し、紙面を構成する」ですから、いわゆる手動写植機で、いろんな数値的な調整を行って「組まれた版の部品」を印画紙に焼いて、版下に貼り付けて紙面作りをしていました。
今考えてみると、すごい話ですよね。
当時いろんな企業さんの社内報を作ったりしていたのですが、縦4段組とか、そんな手法で普通に作ってたんですよね。

ここでの最大の効率化は、まずページには1行何文字で何段で何行入るのか、というような基本体裁を決めることで、その中に作るというルールが適用されていました。

そして、最大の効率化の立役者は、お客さんです。書く原稿が、きちんと原稿用紙のマス目に収められていました。ワープロもまだ普及していない時代の話ですが、ほんの16、7年前です。
この御陰で、まずそうそう大きな違いもなく、お客さんのイメージする仕上がりを初校段階から出すことができました。

だいたいこの時代では、三校責了ぐらいまでやれば、相当気を遣った校正が必要なものか、もしくは間違いが多いとか考えられますが、後者はまずなかったと思います。写植オペレータがそんなことをしていては、飯が食えないのをよく知っていたからです。

版下作業も同じで、新規でも在版で一部差し替えするときも、版下上に印刷されない薄緑の線で、版面が分かるようになっているところに、棒打ちした印画紙を定規を使って丁寧に切って、糊を付けて貼ってました。

ということは、手動写植機の作業が「組版」であり、版下の作業が「DTP」なのかな。
DTPって、デスクトップパブリッシングですよね。確か、少し傾いた「机」の「上」で、版下作業をしてました。

そして、電算写植の時代になり、版下の体裁を作って、そこに文字を流したり、作業をデータで保管できるようになりました。

こ れはまた凄い話ですよね。暗室に行かなくても、出力センターにフロッピーディスクを持って行くと、だーっと印画紙を出してくれるわけです。そして、初校の 段階は普通紙で出力しておいて、校正戻りの修正を版下を切り貼りするでもなく、データを直せばよくなったのです。これで版下作業は大助かりですよね。出た 物をがっつり貼り替えればいいのです。

ここで、組版と版下の作業が1台のコンピュータで、一緒にできるようになったということです。た だ、チラシとか、パンフレットとかなんかは、まだまだブロックごとに作って、版下作業で、ばりばり貼ってたと思います。だから、すべてを網羅するものでは なかった。いわゆる端物と呼ばれるものたちです。

そのぐらいからだと思うのですが、Mac登場です。先にデザインの分野や、画像処理の分 野で使用されていたと思いますが、ドロー系のソフトが出現したあたりです。そして、「書院」などのワープロもだいたい認知されたところで、今度は、PC上 で動くワープロソフトも出てきて、こいつぁ原稿書くのに便利だねえということで、企業内での文書作りのスタンダードになりました。多分もともとは企業さん よりも、学術系の方がその流れが早かったと思います。多分このころには、TeXは、印刷会社に頼まなくてもいいような仕上がりにできるぐらいの実力を、も う持っていた時代だと思います。
10年ぐらい前って、一人一台パソコンを持っている企業も少なかったはずです。ホントに早いですねえ。

そして、絵やイラストを描くとか、図表を作る、写真の加工などの分野で、積極的にMacを使うようになってきて、チラシなどの端物は、もうそっちの方が早いよねと。文字も打てるしさ、と。ただ、写研の文字は使えないけどねえ、みたいな。
この時点で今までとの違いは、体裁の設定など数値ありきで、置かれたときを想像する「組版」から、置いてから考える「DTP」との差が出てきたところです。
この方法は、端物なんかはイイかもしれないが、端物以外では、効率化を下げる一つの要因です。

そ うこうするうちに、QuarkやPageMakerなる英語圏の方々によって作られたページレイアウトソフトが来日しました。一番の違いは、写研を代表す る日本の組版機メーカーが出していたそれぞれの専用機の価格との差があったところにあると思います。安いけど、結構できるやん、と。

こ こまでのいろんな時代背景から、組版作業というものが、ある一定のルールによって始められるものではなく、とりあえずこんな形?みたいなノリで始められる ようになってしまったと思います。間違っても直せるんだ、いつでも変更が効くんだ、という大きな逃げ道を作ってしまいました。これが作る側の保険としてな ら良かったんですが、お客さんも、そして作り手側もそれによって、元原稿というか何を載せるのかという情報についての緊張感も薄くなり、初校を出してから 原稿作りを開始する、というような流れになってしまいました。

それは、それでいいと思う。でも、制作効率はかなり落ちます。回を重ねるごとにどんどん増えます。総合的に校正回数が、4、5校当たり前になっていると思います。
できるだけ早く、正確に、効率的に印刷物を作る仕組みを考えてきた「組版」という技術は、影が薄くなってしまって、なんだが早く、安くできそうだし、変更効くし(写植屋に怒られることもない)という、「DTP」という分野が日の目をみるようになった、と。

ということは、この制作方法をとるのであれば、時間がかかりますので、代金は総合的に上がるはずです。なので、機器にかかる費用が減った分、善し悪しあっても作業時間は増えるので、実はそこで制作代金はイコールになるべきじゃなかったかなと。
今 回は、制作代金について議論するところではないので、掘り下げませんが、もともと日本語組版は、日本人が大好きな効率よく仕事をしよう、という考えのもと で技術として確立しつつあったと思います。ところが、コンピュータ化によって、それがまったく違う方向へ向いてしまった、というのは、今日、日本が先進諸 国の中で、生産性が低い国であるという結果からも明確です。

だいぶ前に、Quarkが日本に入ってきたとき、ある人が「そんなもので組版をしたら、日本の印刷はダメになる」と言い放ったというのを聞いたことがあるんですが、もしかしたらそういう意味だったのかもしれません。
そして写研さんがあの素晴らしいフォントたちを開放しないのも、こういうところも含めた拘りであるとすると、それはそれで凄いなと思います。考えすぎかもしれないけれど。
写研さんの考え方としては、フォントに対する思いもそうだけど、組版するときのことをどこよりも考えていたと思いますので。

まとめに入りますが、「組版」と「DTP」の違いは、いろんな意味の効率を考えて最初から計算によって出た数値を使って組むのか、まずは置いてみて、そこから始めるのか、という、感覚、見た目をメインに考えるのか、ということなのかなと思えてきました。
前者は、情報処理の分野であって、後者はデザインの分野ですね。

ここまで書いて、だんだんどうでも良くなってきたんですが、
自動組版という言葉はしっくりくるけど、自動DTPというのは何かしっくりこない
というのは、ここなのかなと。

だ から、デザイン的な発想でDTPを効率化しよう、といっても、結局、今存在するアプリケーションがそういう発想で作られてはいないってことですね。もとも との発想、ルールによる組版ということに立ち返る、そしてお客さんの情報をちゃんと固定化させるお手伝いをする、というところを再認識した上で、制作プロ セスを構築していく、ということが自動組版にしろ、手動組版にしろとても重要です。

と、最近入った人たち向けの、ざっくりとした歴史でございました。
いろんな意見があると思いますので、一つの参考として。

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