2008年9月9日火曜日

写植の「収める」技術

どなたか合理的なDTPの仕事を下さいを読んでたら、いろいろと思い出した。

まだ会社が5人ぐらいだった頃、某組版ソフトメーカー大手の故Mさんが言っていた。
写植がプロフェッショナルな仕事だと言える理由は、「限られたスペースにバランスよく文字を収めることができる」ということだと言われたことを思い出した。
やっぱりセンスが問われる領域の職種だと思う。
今ならDTPアプリ上で編集者がちょちょいとやると思いますが、
昔は、ラフレイアウトとそこにかかれたQ数、書体、文字間、行間で指定されたものを発注主が納得いくようなセンスで、写植(版下も含む)をこなしていたと思うのです。
その方がよっぽど効率がよかった。
大先生のデザイナーさんの指示だったとしても、この方がいい、って言えるぐらい写植屋は強かったんじゃないかな。それぐらい組版というところに執着していた気がする。

だからやっぱりソフトの操作に執着してはいけないのです。
こうしたいという結果にたどり着く為の、あくまでもツールであるということです。
そして価格(工賃)は、落とすべきではなかった。
機械によるところではなく、人によるところだから。
製版とか印刷の類は、完全なオートメーション化や、明らかな工程の削減があったかもしれないが、写植で言えば、逆に手数が増えている。

アナログ→デジタル移行期に、業界としてこの劇的な変化に対応すべく、ちゃんとした協議が必要だったのだろうと思う。

今頃言っても仕方ないですが、どうも業界全体で足掻いているようで仕方がない。

モノを作り出すのは人であって、そういった人たちに合理化のフィルタをかけてしまっては、いいモノを作り出す環境はできるはずがない。もっとプロフェッショナルを育てて、業界全体が活気づくようなことをしないといけないと思う。今のままでは、理不尽さにやられてるだけで、モノを作り出す意欲さえなくなってしまう。
価格を絞るのは不景気だし、仕方がないかもしれない。でも、理不尽はいかんよね。
そして日本の本を外人に作らせるって、ホントにいいのかな。
本作りとか、チラシ作りも含めてクリエイティブさを取り戻さないといけないですね。

※故Mさんは、賛否両論で、敵も多かったですが、僕らは彼に支えられました。彼なくして今の会社はありえません。僕が印象に残っている言葉は、「そら、痛快やな!」。本人の出自はそれほどよくなかったと記憶しています。だから、僕らみたいなちっぽけな会社が少しずつ大きな仕事に取りかかれるようになっていくことを、とても喜んでくれました。

うーん、明日のプレゼン資料は、飛行機の中で書くしかないな。。。

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